沖縄プロレスについて

解散したプロレス団体の1つ

プロレスという言葉を聞いてどんな印象を持つかは人によりけりだろう、だがプロレスファンにとってその面白さは計り知れないだろう。技の繰り出し、リング上で行われる死闘、場外で繰り広げられるパフォーマンスといったもので、観客の心を捉えて離さないのがプロレスだ。筆者も学生時代は格闘技をよく視聴していたものだ、プロレスも時間があえば視聴していたほどそれなりに格闘技閲覧をそれなりに嬉々として、好意的に捉えていた。個人的には、技を繰り出している瞬間が何とも言えない。その時間はそれこそ森羅万象を支配したように、一瞬で場を制することで気付けば技の発動に王手を掛けている状態になっているからだ。間を埋めるだけのタイミングを生み出すだけでも技術的なものも要するが、その時間を一瞬に見抜く眼力と動物としての本能に近い感覚を研ぎ澄ますことによって、全てを可能とする。

カリスマと称されるプロレスをしている人々の存在感ほど、圧倒的なものはない。例えリング上の戦闘で一方的にやられていたとしても、逆に攻められているからこそ出すことが出来る意義、つまり逆境を打ち勝つとする強い意志が感じられる。誰もが当然できるモノではない、そして体現するだけでも戦士としての勘が働かなければ為すことは出来ない。そのためプロレスを志す人々は過酷なトレーニングをすることになる、それは一般人からしてみれば肉体をそれほどまで痛めつけて本当に生命活動に支障をきたさないのかと、唖然とするものばかりだ。プロレスをしている人は何も皆が皆、化物と揶揄されるような常人離れてしているわけではない。鍛えていくことによってようやくその境地に辿り着くことが出来た、そんな人もいるだろう。

ただプロレスを本当に、ビジネスとして運営して行くのは非常に辛いところもある。関東を中心に活動している、格闘技に関してさして知識を持っていない人でさえその名が知られている大手プロレス団体でさえ、経営という面で上手く言っていないときもあるほど、安定した仕事ではない。だがまだ東京都内で活動できているのならいいかもしれない、日本にはこうしたプロレス団体は全国各地に点在しているが、その中でやむなく諸事情によって事実上の解散に追い込まれたプロレス団体は数知れずである。その中の1つとして、日本本島から離れた観光名所として定番となっている沖縄で活動していた『沖縄プロレス株式会社』という団体があった。

沖縄プロレス団体の歴史

日本の首都で活動すればそれなりに知名度を稼ぐことも出来るかもしれないが、どうして沖縄プロレスというものが誕生したのかというのは、それはプロレスが備え持っているエンターテインメント性を生かした観光事業として、沖縄県産業振興公社からの支援を元にして設立されていたという。当時の代表だった『スペル・デルフィン』という覆面レスラーが伴侶としていた妻が、沖縄県出身だったということもあり、沖縄に観光で訪れる旅行者を楽しませようとする観光スポットとして興行活動を行っていた。活動当初は団体に所属しているメンバーが音楽バンドを組んで演奏をするといったこともしており、使用楽器も三味線を利用するなど徹底的に沖縄を表現するための手段として用いられていた。こうなると試合もそうだが、沖縄プロレスというものが沖縄県と共に観光事業をより活性化させようとする動きが見られている。それだけ切実なのかと気になったので調べてみると、沖縄プロレスが発足した当初において沖縄県は全国でも失業率がダントツ1位という笑えない結果を出していたのだ。

そんな沖縄は当然財政事情もあまりよろしくない状況となっていたため、基本的な財源獲得手段としては『公共事業』・『観光』・『米軍基地』といった三本柱で何とか凌いでいたという。これでもやはり少し足りないとして、国民的にも知名度のあるプロレスを観光事業の一環としてコラボすれば収入を更に望めるのではと考えられた。

こうした事情から沖縄プロレスは通称『夜のエンターテインメント・ビジネス』という名称で活動を行っていくことになる。地元住民には訪れてくれた地元割引を設定するなど地域の人々に容認されるところから活動を始め、徐々にその事業を本格的に行っていくこととなる。

活動は続いたが、代表が去ったことで空中分解する

設立された当初こそ積極的に興行を行い、試合だけではなく様々な催し事にその顔を出すなど精力的に活動しては、それらの方向性から収入を獲得できるようにと仕事を団体全体として担当していった。驚くことにほぼ毎日試合を行なうという公約を出したことで、団体が独自に所有していた常設会場を拠点に週6日の一日3試合開催するという風に、選手の肉体的疲労もピークに達しかねないようなスケジュールをこなしていた。そんな中で2012年には沖縄県立武道館にて団体としては初の大型イベントだった『闘人~~ばとるんちゅ』を開催するなど、沖縄としてもそれなりに有名なプロレス団体として地位を固めようとしていたときだった。

同じ頃、事業としての契約が満了となったため社長だったスペルは故郷となる大阪府で市議会議員として出馬するために、これまで活躍の場として行なってきた常設会場を始め、団体として利用していた事務所も大阪へと移転してしまう。これにより、沖縄プロレス株式会社は事実上の解散となってしまう。

アレだけ積極的に沖縄で活動していたプロレス団体の呆気ない幕の降ろし方にはどこかわだかまりが残るところもあるのだが、詳細は所属していた当人達のみぞ知るといったところかもしれない。それにプロレス団体が潰れるといってもそんなに珍しい問題でもないので、気にすることでもないかもしれない。

具体的な興行内容

さて、そんな沖縄のプロレス団体として活動していた沖縄プロレスが行っていた興行内容は、通常の労働勤務として考えてもかなりのハードワークであることは言うまでもない。というのも、常設会場での試合は振興公社にも提出、また自ら明言したこともあって水曜を除いた週6日の20時から仕事を行ない。怪我など体調面で欠場しなければならない選手以外は全員出場していたのだから、ファンとしては毎日豪華な面子が揃っている可能性が高いというわけだ。また、ジャスコといったショッピングモールなどにも出張興行を行っているなどの姿勢は凄まじいものだ、それだけ収入的な面で何とかして観光客をはじめ、地元住民から認知されようとする必死さがあったのかもしれない。公社からの支援があったということもあるだろう、公共からのバックアップは確かに心強いものでもあるが、結果を残すことが出来なければ当然支援の手は止まってしまう。そういう恐れもあったことから所属選手の体力疲労も相当なものだったことだろう。ただこうした活動がある意味実ったのか、沖縄プロレスは日本一『試合数の多いプロレス団体』として業界で名が知られるようになったのだった。名前を売ることが出来たという意味では、成功したといえるだろう。

ただプロレスはやはり試合が面白くなければ話にならない、ではその試合はどのようなものが行なわれていたのかを紹介しよう。

開催試合

1:沖縄プロレスチャンピオントーナメント
7月、沖縄プロレスが誕生した月に開催されるトーナメント戦となっており、6月から金曜日に集中的に試合が組まれていき、創立日に決勝戦が行われるものだ。沖縄プロレスとしては最大のメインイベントとして活用されていた。
2:スペシャルフライデー
闘っていればいいというモノでもない、中には試合以外のイベントも行なわれていた。代表的なものとしては早食いを始めて、さらにトークショーが行われるなど多種多様なイベントが展開され、時にイベントが次週に持ち越しになったりするものもあった。
3:ドロロンフライデー
こちらのイベントも金曜日限定で開催される、年に1,2回開催されるモノで、選手の一部がゾンビの仮装を行って対決するものとなっている。真面目に試合をしているように見えるが、観客を楽しませるものとなっているので、お笑い中心となっている。
4:ハロウィンスペシャル
毎年ハロウィンに開催されていたイベントで、選手が身につけているマスクを交換して、交換したマスクの選手になりきって試合をするというもの。この時観客も仮装参加が認められているので、仮装しながらプロレス観戦をすることが出来た。

通常の試合は

ではこうしたイベントの試合ではない普通の試合ではどのように行なわれていたのかについてだが、単純なシングルマッチを始め、お笑い、時に真剣な試合をする3ウェイ方式もあるが、基本的には4人。、もしくは6人で行われる試合をするのが基本となっている。当人達はもちろん真剣にやっているわけだが、観光事業として楽しめるようにという意味ではエンターテインメント性ではさすが、といったところだ。

団体が解散したことで惜しんだ人もいるが、この内所属していたあるメンバーが一念発起して再度、沖縄プロレスとはまた違う新たなプロレス団体を立ち上げることとなる。